Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

大泉 啓一郎 『老いてゆくアジア 繁栄の構図が変わるとき』

 初めて「アジアの高齢化」という問題に気づいたのは、つい2年前、職場の同僚がとある国連のレポートを紹介してくれたときだった。考えてみれば当たり前のことで、経済成長期に裾野の広いピラミッド型の人口構造を有した国ほど、後の世代が負担しなければならない社会保障費は多い。昨年ベトナムに出かけたとき、外資の工場に自転車やバイクで通勤する若い世代の人の数に圧倒されたが、「30,40年後にすさまじい高齢化社会が到来しようとしていることを彼らは果たして認識しているだろうか」、などと邪推してしまったのを覚えている。
 
 さて、この本は、各種統計を用いながらアジア各国の高齢化社会の到来と来るべき課題(社会保障制度の整備や将来財源の確保)について警鐘をならし、国家のみならずコミュニティ(地域)レベルの福祉の充実や同分野での域内協力の重要性をうたっている。
 この新書が出版された2007年当時、このテーマ、その重要性に照らして日本語文献の質・量が充実しておらず、新書のかたちで分かりやすく理解すべきポイントがまとめられたことは評価できる。しかし、域内協力を推進すべき立場にある高齢化「先進国」の日本ですら国内の年金・介護・医療制度の骨格や財源の確保見込みが明確になっておらず、ましてやコミュニティとの役割分担や他国への協力などまったく手探りの現状であるせいか、アジア各国が社会保障分野で採るべき方策についてはじゅうぶん内容が具体化されているとは言えない(おそらくその紙幅もない)。この点については、各国の行政や研究機関が最近になって発表し始めているものも含め、また時期を改めて勉強しなおすことにしたい(というか、そもそも福祉制度全般について、まだ介護や年金の当事者としての認識が薄いせいか、あまり理解が進んでいない)。

 少子高齢化は、福祉制度の充実を余儀なくさせるとともに、一般的にGDP成長率を低下させるといわれている。大泉氏がクルーグマンの議論を引きながら、成長を持続するには、労働・資本のみならず技術を含めた全要素生産性を向上させる以外にない、と述べておられるが、まさにそのとおりである。ただし実際には、日本の「失われた20年」を見ても分かるとおり、その道のりはかなり険しいと思う。「BRICS」や「NEXT 11」の次にも、他のアジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国が次の出番を待ち構えている。ただ、日本よりもエリート層の厚みで勝るアジア諸国では、研究開発を通じた「技術」のイノベーションの発生率は日本よりは高いかもしれず、その点に一縷の望みがあるかもしれない。

                                        (中公新書、2007年発行)


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