中村 安希 『インパラの朝 ユーラシア・アフリカ大陸684日』
②印象に残ったパート
旅も終わりに近づいたニジェールで、当初のアフリカ渡航の目的「アフリカに行って貧困と向き合い、現地の惨状を確認し、世界に現状を知らしめて共感を得る」について、中村氏は改めて思いを巡らせる:「けれど、あてがはずれてしまった。なぜなら、予想していた貧困が思うように見つからなかったからだ。想像したほど人々は不幸な顔をしていなかった。」「アフリカは教える場所ではなくて、教えてくれる場所だった。助けてあげる対象ではなく、助けてくれる人々だった。アフリカは貧しい大陸ではなく、圧倒的な豊かさを秘めた、愛されるべき大陸だった。」
ODAなどの国際協力については、「助け合うということは、予算額の大きさではない。慈悲の精神の量でもなければ、それをどれだけ大々的に宣伝するかということでもない。」「大きな評価は得られなくても、相手の気持ちに耳を傾け、今目の前にいる人々に、そっと手を差し出せばいい。それを教えてくれたのは、当のアフリカ自身だった。」という。
旅も終わりに近づいたニジェールで、当初のアフリカ渡航の目的「アフリカに行って貧困と向き合い、現地の惨状を確認し、世界に現状を知らしめて共感を得る」について、中村氏は改めて思いを巡らせる:「けれど、あてがはずれてしまった。なぜなら、予想していた貧困が思うように見つからなかったからだ。想像したほど人々は不幸な顔をしていなかった。」「アフリカは教える場所ではなくて、教えてくれる場所だった。助けてあげる対象ではなく、助けてくれる人々だった。アフリカは貧しい大陸ではなく、圧倒的な豊かさを秘めた、愛されるべき大陸だった。」
ODAなどの国際協力については、「助け合うということは、予算額の大きさではない。慈悲の精神の量でもなければ、それをどれだけ大々的に宣伝するかということでもない。」「大きな評価は得られなくても、相手の気持ちに耳を傾け、今目の前にいる人々に、そっと手を差し出せばいい。それを教えてくれたのは、当のアフリカ自身だった。」という。
③読後の感想
シリアの雑貨屋の主人や、コルカタ「マザーズハウス」のボランティア、タンザニアの宝石堀り、ガーナのビジネスマンにアーティスト。訪れた地域の社会の表層をなぞるだけではなく、そこで出会った現地の人々との印象的な会話が綿密に描写されており、そこから派生する「豊かさとは何か」など普遍的な問いかけについても素直で等身大な思索の跡が読み取れ、単なる旅行記に終わっていない。読後の爽快感とあわせて、さまざまな疑問・思考への取っ掛かりを与えてくれる本。きっと英語力を含めた中村氏のコミュニケーション力の高さも、こうした現地での気づき・思考の「濃さ」に一役買っているのだろう。
アフリカの貧しさや国際協力についての思索の跡は、どれも重みを伴って響いてくる。自分も3年前にセネガルに半年間滞在したとき、中村氏と同じように「アフリカに行って貧困と向き合い、現地の惨状を確認し、世界に現状を知らしめて共感を得る」ことがその主目的だったように思うが、現実は違い、経済的な困窮はありながらも一日一日の暮らしの中に楽しみを見出し苦しいときには支えあう明るい人々と村落に息づく豊かな共同体の姿に、当初戸惑った記憶がある。開発援助関係者の職を長く続かせるためには「貧しいアフリカ」というステレオタイプが必要、という悪しき逆説を乗り越えて、地域の特性や「豊かさ」の基準に合わせた決め細やかな支援を慎重に行っていくことこそが、当たり前ではあるが、とても重要である(それでも、開発援助機関の職員はしばしばこの「当たり前」の命題を忘れてしまうのだが)。
また、後で気づいたのだが、中村氏の「旅」ブログも相当面白い。日本語版だけでなく英語版にもいろんな記事が投稿されており、この本に興味をもたれた方ならきっとブログの方も楽しめるはず↓
http://asiapacific.blog79.fc2.com/
身ひとつで見知らぬ人々の暮らしや考え方に触れられるバックパッカーはやっぱり面白い、と自分の学生時代を思い返しながら改めて感じた。自称旅行業者のおじさんの家でインドネシアの豊かさ・貧しさについて語り明かしたジャカルタ、日本語で「お母さん死んだ」と1ドル札をねだってくる案内役の子供の言葉に衝撃を受けたアンコールワット。中村氏に比べれば時間も濃さも少ない旅路ながら、さまざまな出会いがあった。「かわいい子には旅をさせろ」と言うが、文字通り旅は人をつくるのだ、とつくづく思う。
シリアの雑貨屋の主人や、コルカタ「マザーズハウス」のボランティア、タンザニアの宝石堀り、ガーナのビジネスマンにアーティスト。訪れた地域の社会の表層をなぞるだけではなく、そこで出会った現地の人々との印象的な会話が綿密に描写されており、そこから派生する「豊かさとは何か」など普遍的な問いかけについても素直で等身大な思索の跡が読み取れ、単なる旅行記に終わっていない。読後の爽快感とあわせて、さまざまな疑問・思考への取っ掛かりを与えてくれる本。きっと英語力を含めた中村氏のコミュニケーション力の高さも、こうした現地での気づき・思考の「濃さ」に一役買っているのだろう。
アフリカの貧しさや国際協力についての思索の跡は、どれも重みを伴って響いてくる。自分も3年前にセネガルに半年間滞在したとき、中村氏と同じように「アフリカに行って貧困と向き合い、現地の惨状を確認し、世界に現状を知らしめて共感を得る」ことがその主目的だったように思うが、現実は違い、経済的な困窮はありながらも一日一日の暮らしの中に楽しみを見出し苦しいときには支えあう明るい人々と村落に息づく豊かな共同体の姿に、当初戸惑った記憶がある。開発援助関係者の職を長く続かせるためには「貧しいアフリカ」というステレオタイプが必要、という悪しき逆説を乗り越えて、地域の特性や「豊かさ」の基準に合わせた決め細やかな支援を慎重に行っていくことこそが、当たり前ではあるが、とても重要である(それでも、開発援助機関の職員はしばしばこの「当たり前」の命題を忘れてしまうのだが)。
また、後で気づいたのだが、中村氏の「旅」ブログも相当面白い。日本語版だけでなく英語版にもいろんな記事が投稿されており、この本に興味をもたれた方ならきっとブログの方も楽しめるはず↓
http://asiapacific.blog79.fc2.com/
身ひとつで見知らぬ人々の暮らしや考え方に触れられるバックパッカーはやっぱり面白い、と自分の学生時代を思い返しながら改めて感じた。自称旅行業者のおじさんの家でインドネシアの豊かさ・貧しさについて語り明かしたジャカルタ、日本語で「お母さん死んだ」と1ドル札をねだってくる案内役の子供の言葉に衝撃を受けたアンコールワット。中村氏に比べれば時間も濃さも少ない旅路ながら、さまざまな出会いがあった。「かわいい子には旅をさせろ」と言うが、文字通り旅は人をつくるのだ、とつくづく思う。
(2009年発行、集英社)
○備忘録がてら、いま行きたい国々・地域:
北京とか中国の北のほう
シルクロード一帯
タジキスタンなど中央アジア
バクー、コーカサスの山々
ヒマラヤ登山
ミャンマー
ヴァラナシなどガンジス川流域
モーリタニア(再訪)、サハラ砂漠
イタリア
スペイン、バルセロナ
スコットランド(再訪)
フィンランドなど北欧
パラオかモルディブでダイビング
国内だと山陰・北陸とか東北、道東
・・・挙げ出すときりがないのでこの辺で 笑。
北京とか中国の北のほう
シルクロード一帯
タジキスタンなど中央アジア
バクー、コーカサスの山々
ヒマラヤ登山
ミャンマー
ヴァラナシなどガンジス川流域
モーリタニア(再訪)、サハラ砂漠
イタリア
スペイン、バルセロナ
スコットランド(再訪)
フィンランドなど北欧
パラオかモルディブでダイビング
国内だと山陰・北陸とか東北、道東
・・・挙げ出すときりがないのでこの辺で 笑。