Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

伊勢崎 賢治 『武装解除 紛争屋が見た世界』

 シエラレオネアフガニスタンで兵士の武装解除オペレーションを指揮した経験を持つ自称「紛争屋」伊勢崎氏が、自身の経験や、紛争介入・復興支援・開発協力に対する考えをまとめた新書。近年の紛争後地域でのオペレーションで重責を担った当事者による言葉は、どんな開発理論や援助哲学も持ち得ないリアリティをもって、読者に響いてくる。


1.「抑止力としての分をわきまえたROE」

 伊勢崎氏は、東ティモールでの経験を引きながら、国連平和維持活動(PKO)のエッセンスを「抑止力としての分をわきまえたROE(交戦規定)」とし、「これをうやむやにしての、派兵はありえない。自衛隊派兵の是非は、後方支援部隊ではなく、戦闘部隊としての派兵の是非として、問題の本質から逃げずに、真正面から日本国憲法上の議論をするべきだ」と論じる。
 改憲ありき・派兵ありきの安易な議論は避けるべき、と思うが、実際に現在もコンゴスーダンといった複数の国々で一般の人々が組織的な暴力にあい、国連平和維持軍(PKF)がその暴力に対し十分な抑止力を持ちえていない現状を見るとき、年間約5兆円・25万人規模の日本の自衛隊の参加規模が小規模に留まっている現状のままで良いのか、改めて問い直す余地はある。


2.「和解」という暴力
 
 反政府勢力による暴力が凄惨を極めたシエラレオネでは、殺戮を指揮したとされる軍人の数は「400人以上」。しかし、戦争犯罪を裁くための特別法廷は、資金・体制とも不十分であり、結果として多くの軍人が裁きを逃れた。一方、「和解」を掲げる援助事業は国際社会からの資金を集めやすく、NGOも含め「援助産業」を形成するに至った。「(殺戮に直接手を染めたのは個々のゲリラ兵士だとしても)せめて首謀者だけでも裁いてほしい、というのが、絶望の中にあっても日常生活を生きる、民衆の唯一の願いであろう」、と伊勢崎氏。しかし、米国主導のもと反政府勢力の首謀者であったフォディ・サンコーが副大統領に据えられたことに象徴されるように、当時の国際社会は、その民衆の思いに応えることができなかった。
 「『裁き』と『和解』は常に車の両輪であり、被害者だけに寛容さを求める権利は誰にもないことを、僕たち”部外者”は肝に銘ずる必要がある」。伊勢崎氏の無念の思いが、行間から読み取れる。


3.「戦争利権」としての人道援助

 「人道援助の利権をめぐってNGOと営利企業が競うようなご時世になってきている」、と伊勢崎氏。ブッシュ政権が始めたイラク戦争が「サダム・フセインを人道に反する悪魔と位置づけ、人道主義を”正義”に祭り上げて」始められたことに触れ、「人道援助が使う人道と、侵略の大義として使われる人道と、一体何が違うというのであろうか」と続ける。「アメリカが始めた二つの戦争は、人類の基本的モラルを崩壊させたのだ」、とも。この本が発行された2004年12月は、2期目のブッシュ政権がアフガン・イラク戦争を泥沼化させていた時期。オバマ政権誕生を経た今、アメリカ政府はようやく理性を取り戻したかのように見える。
 しかし「人道援助は戦争のない世界では成り立ちえない」というジレンマは、世界各地で依然として人道援助ワーカーを悩ませている。コンゴスーダン、アフガンでの現行支援に加え、他の紛争予備地域で今後いかに紛争「予防」の試みに取り組んでいくか。「人道援助が存在しない(=戦争のない)世界が一番望ましい」ということを先進国の関係者は改めて肝に銘じる必要がある。

                            (講談社現代新書、2004年発行)


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