Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

小野 節子 『女ひとり世界に翔ぶ 内側から見た世界銀行28年』

 元・世界銀行シニアアドバイザーの小野氏が、自身の世界銀行での半生を自伝形式で振り返ったエッセイ。世界銀行という組織がどのような仕事を行っているのか、通常日本で暮らしているだけではなかなか見えてこない。博士号取得後に入行し、生え抜きの職員としてシニアアドバイザーまで勤め上げた同氏の筆を通じて、世界銀行の組織と人、仕事が見えてくる。

1.出向者と生え抜き
 世界銀行で働く日本人は、財務省など日本政府からの出向者と、小野氏のような生え抜きの職員とに分けられる。小野氏は、「いまでも財務省の本省からきている人たちは、私たちのような官僚以外、または官僚と関係ない民間出身の職員を「バナナと呼んでいる。皮は黄色だが、中身は白というわけだ」と述べ、「マネジメントのカルチャーが日本のそれとは基本的に異なる・・・だから、大蔵省から出向している官僚たちは、世界銀行米州開発銀行内では、能力のない人たちと認識されていた」と手厳しい。

2.モーリタニアの灌漑開発
 小野氏は1976年の入行直後から8年間、西アフリカのモーリタニアを担当していたという。サハラ砂漠が迫る厳しい自然環境を背負ったモーリタニアの開発政策を担うべく、鉱山開発と灌漑開発の2本柱を中心に、世銀のプログラムを組み立てていく。鉱山開発はすぐに思い当たるとしても、世銀が1970年代、この砂漠の国に灌漑施設を整え水田開発を推進しようとしていたとは、恥ずかしながら今まで知らなかった。水田開発機関「ソナデール」と、同機関に対する数度にわたる融資と技術協力。その後の軍事政権樹立によって当初の構想は行き詰まりを見せたものの、「1976年にわれわれが分析して推薦した政策は、この国に適したものだったと確信している」と小野氏。それから33年。モーリタニアを流れる時間のスピードは、あまりに遅く感じられる。
 
                             (2005年発行、講談社


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