Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

塩野 七生 『ローマ亡き後の地中海世界』

 『ローマ人の物語』で知られるローマ在住の作家・塩野氏による新著。西ローマ帝国崩壊後の千年間の地中海史を、上・下巻にわたって描きます。
 上巻が300ページ強。下巻が400ページ弱。まず、これだけの枚数で1000年間の地中海史を描ききった手腕に素直に拍手。内容については、塩野氏の歴史エッセイらしい濃淡が付けられており、歴史を彩る重要人物の人柄や思想、重要な事件の背景について、各章ごとに詳細に触れられています。
 読む際の視点の持ち方も読者それぞれ。ソマリア沖やマラッカ海峡の海賊や、アフガンやイラクの統治問題など、現代世界の問題のコンテクストに置き換えて読むこともできるでしょう。


1.イスラム海賊に晒され続けた1000年

 キリスト教世界に向けられたイスラム教徒の海賊来襲は652年のこととされている。エジプトのアレクサンドリアを発ち、シチリアシラクサを襲い、破壊と略奪、800人近い人々を拉致した。その後チュニジアカルタゴイスラム化された698年以降、カルタゴを拠点として、海賊は南ヨーロッパ地域で猛威を振るうことになる。以後約1000年、南ヨーロッパキリスト教世界は暗黒の時代に入る。
 本書の第3章で触れられている修道士組織や騎士団による拉致被害者(奴隷)奪還運動をはじめ、さまざまなかたちの抵抗が試みられたものの、十分な防衛力を持たないイタリア半島や南スペインの村々は、北アフリカから風に乗ってやってくるイスラム海賊の脅威に晒され続けた。
 1000年間にわたって海賊の脅威に晒され続ける、というのはどういうことなのだろう。日本にとっての「外の海からやってくる脅威」は、歴史上、モンゴルによる2度の元寇くらいだった。現代でも一部に見られるイスラム世界に対する欧米の敵視の姿勢は、この1000年の歴史に負うところもあるのではないか、と思わせられる。


2.「パワーゲーム」の16世紀

 1453年、オスマン・トルコはコンスタンティノープルを落とし、東ローマ帝国を滅亡させた。当時のトルコの悩みは、海軍力の保持にあった。アラビア半島から西進してきたトルコは、伝統的な海軍を保持していなかった。そこでトルコは、北アフリカイスラム海賊を正規の帝国海軍として遇することにする。以後、キリスト教圏の諸国・諸都市は、オスマン帝国正規海軍としての海賊に面向かう。
 16世紀に入り、地中海世界は3人の名君主を迎える。トルコのスレイマン1世。フランスのフランソワ1世。そしてスペイン王カルロス1世(神聖ローマ帝国皇帝カール5世)。ここでは詳細は述べないが、フランス・トルコ間(キリスト教イスラム教!)の同盟やプレウェザの海戦、レパントの海戦など、地中海世界の趨勢を大きく左右する重大イベントが、この世紀に頻発する。本書でも、この3人が主役を演じる16世紀について、下巻のほぼ全てのページが割かれている。


3.歴史を動かすもの

 「歴史でも政治でも軍事でも経済でも、その下に「学」とつくやいなや、人間の心情への配慮が薄れるように思われる。・・・対策を立てる力はありながらあきらめてしまい、もう何もやっても無駄だと思っていた人々に、無駄ではないと思わせる役に立つならば、精神主義も捨てたものではなくなる。」
 1565年のマルタ攻防戦つづる際の締めくくりとして、塩野氏は人間の心情が歴史に与える影響について触れている。トルコ帝国海軍が本気で侵攻したマルタ島で、騎士団は70パーセント以上の戦死者を出しながら、最後まで同島を守りきった。マルタ攻防戦以後、イタリア半島の海沿いに立つ城塞の多くが、16世紀後半のこの時期に建設された。これは人々の心情が「何をやっても無駄だ」から「無駄ではない」に変化したことの表れ、と塩野氏は書いている。
 世界史の教科書では、レパントの海戦やマルタの攻防戦について最低限必要と思われる基礎知識しか触れられない。しかし、歴史の細部に立ち入れば立ち入るほど、当時の「主人公」である統治者や庶民の心情・思想がどれだけ一国や一地域全体の趨勢に影響を与えうるか、理解させられる。「歴史を学ぶ」ことは、すなわち「人を学ぶ」ことだということを、本書は思い出させてくれる。


(上巻:2008年12月、下巻:2009年1月発行。新潮社)


https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/F/Foomin/20190829/20190829193115.jpg