Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

ジョン・パーキンス 『エコノミック・ヒットマン』

 1970年代に米国コンサルタント会社・メーン社に勤めたパーキンス氏によるノンフィクション。世界銀行やUSAID(米国援助開発庁)が実施する調査・融資案件に携わった経験をもとに、電力・道路・通信などの分不相応なインフラ案件を途上国政府から米国企業に発注させ、「途上国の債務漬け」に加担した経験を描く。
 米国の世界戦略の闇、つまり「世界は米国政府・米国企業・途上国の一部の富裕層の継続的な利益のために動かされている」という主張が本書の趣旨。

 
1.エコノミック・ヒットマンは実在するのか?

 元「エコノミック・ヒットマン」パーキンス氏の経験は、あくまで所属するメーン社の利益を最大化するために働いた忠実なサラリーマンのそれとも読める。冒頭に登場する謎の先輩社員・クローディンの登場がなければ、同氏の言う米国政府の世界戦略(マニフェスト・デスティニー)と氏の職務との連関は、さほど感じられないというのが正直な感想。そもそもクローディン氏が、政府の人間なのか、財界の人間なのか、ただの人事部特別スタッフなのか、結局よくわからないまま本が終わってしまう。
 ただ結果的に、世銀やUSAID、CIAなどの公的機関が南米やアフリカ、中東、アジアで無駄なインフラ案件を計画し、多くの米国企業が受注してきたという事実には間違いはない。
 しかし、実際にパーキンス氏が言う明確な職業としての「エコノミック・ヒットマン」が実在するのかどうか、それはやはり第二・第三の「エコノミック・ヒットマン」が同様の告白でもしない限り、断言するのは難しいように感じた。
 

2.「途上国の貧困層のためか、一部富裕層の強欲のためか」

 本書を貫くモチーフはこの問いかけかもしれない。

 パーキンス氏がインドネシアのホテルに滞在したときに毎晩悩まされ続けたのが、この命題。派遣されたチームの一員として、策定する電力プロジェクト計画がインドネシアの経済成長に寄与することを「論理的・科学的に」証明すべく、電力需要やGDP成長率見込みを多めに見積もったレポートを書くかどうか、逡巡する。
 結果として、電力・建設など主に米国の一部大手企業の懐を潤すだけで地方や都市のスラムに住む一般民衆には電力料金の上昇というかたちで悪影響を及ぼすことが分かっていながら、パーキンス氏は自らの社内でのポジションや前述のクローディンの台詞「誰も25年先の未来なんて予測できない」をよりどころに、レポートを「操作」する。この案件は各公的機関のチェックを通過し、見事に成立する。そしてインドネシア政府の債務が上積みされる。

 自分も西アフリカのある国の首都に派遣されたとき、似たような感覚を覚えたことがある。その案件は無償で、かつ乾燥地域への水供給案件だったため、パーキンス氏の事例と同列に扱うわけにはいかないが、「これが有償の高速道路や港湾、大規模発電所などだったら」とふと想像してしまった。
 確かに、いかなるインフラ案件も中長期的にみてその国の経済に「一定の」寄与を果たすことに間違いはないが、債務返済のための将来の税負担や電力料金・水料金等のかたちで国民にどの程度の負担を強いることになるのか、費用対効果はどの程度か、100%の精度で予測することは難しい。
 しかし開発ワーカーとして働く以上、「一般民衆への裨益か」「一部富裕層の強欲か」という二者択一論を遥か眼下に乗り越えて、この点について真正面から取り組み率直かつ正確な報告をすることは当然。


3.国際開発機関・関連組織で働く人々

 この本を読んだ後に一番頭の中に焼きついて離れなかったのは、289ページから始まる以下のパラグラフ。少々長いが引用:

 「今日では、男も女も、タイやフィリピン、ボツワナボリビアなど、必死に仕事を求めている人間を見つけられそうな国ならどこへでも行く。・・・贅沢なジェット機で瞬時に大陸や海を越え、一流ホテルにチェックインして、最高級のレストランで食事をする。そしておもむろに、絶望した人々を探しに出かける。・・・
 彼らは自分たちは正しいと思っている。珍しい場所や古代遺跡の写真を家に持ち帰り、子どもたちに見せる。セミナーに参加して、互いに肩を叩き合っては、遠い異国の風変わりな習慣に対処するための、ちょっとしたアドバイスを交換し合う。
 ・・・現代の奴隷商人は、貧困にあえぐ人々は収入がないよりは一日一ドルでも稼ぐほうがよりよい暮らしができるし、より大きな世界の共同体の一員になれるのだと、自分にいいきかせる。彼(あるいは彼女)はまた、そうした悲惨な人々は、勤め先の企業が生き残るための根幹であり、彼ら(彼女ら)のライフスタイルの基盤であることを理解している。自分や自分のライフスタイルやその背後にある経済システムが、世界に対してしている仕打ちが、全体からすればどんな意味を持つのか、そして、それがゆくゆくは自分の子どもの将来にどんな影響をもたらすのか、考えることに立ち止まることは決してない。」

 各種の国際開発機関は、貧困撲滅を目標としていながら、貧困撲滅そのものを生業として職員を雇用し続けているというパラドクスを抱えている。 
 「そこで働く職員は、国際開発機関の必要性がなくなるような世界が一番良い世界である、ということを改めて肝に銘じなければならない」と自戒を込めて思う。


(原著:John Perkins "Confessions of an Economic Hit Man" 2004.
 邦訳:古草秀子訳、東洋経済新報社、2007年12月発行)


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