Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

高橋 洋一 『財投改革の経済学』

 ロングセラー『さらば財務省!』をはじめ各所で露出著しい元財務官僚・高橋氏による単行本。 
 財政投融資に関連する一連の改革について経済金融理論からの検証を行った同氏の博士論文がベースになっています。計数やグラフも随所に出てきますが、金融・財政についての知識が多少あれば、すいすいページをめくっていけます。

 読み終わっての感想は、郵政民営化を含めた一連の改革にも(当たり前ですが)「相応の妥当性と根拠があったのだ」ということ。一連の改革の当事者の視点によって綴られたという点において類書はなく、「郵政民営化とは何だったのか」「財投改革によって何が変わったのか」、疑問をもっている方にとっては一読の価値があると思います。


1.一連の公的金融システム改革の全容

 2000年の財投改革法成立に始まる一連の改革、すなわち財投改革と郵政民営化、政策金融改革は、相互補完の関係にある。

①少なくとも1991年まで郵貯金利が市場金利を上回っており資金の「郵貯シフト」が発生していた。
②財投システム下では預託金利と貸出金利が固定されており市場金利と対応していなかった。1987年に連動化されたものの市場金利より恒常的に高い金利であることに代わりは無く、結果的に財投機関にとっての資金調達コストの上昇は財政資金(国民負担)によって補填されていた。
郵貯の全面的自主運用に伴い従来の「金利上乗せ」0.2%がなくなったため、国債運用中心の国営による運営が立ち行かなくなることが明らかであった。
郵貯と「ミラー」の関係にある政策金融機関の改革は、民営化された郵貯に信用リスク業務を提供するためにも不可欠であった。


2.黎明期の郵貯

 1875年に郵便局貯金業務が開始され、1878年から大蔵省国債局で運用されることになった。
 1868年の明治政府発足時は、個人の利用できる金融機関が小規模の両替商くらいしかなく個人の資金吸収が難しい状況にあった。そのため「国が直接事業を実施することで貯蓄思想を早期に普及する」という目標があったという。1871年にはすでに郵便制度が発足しており、その全国網を利用するかたちで郵貯がスタートした。ちなみに民間商業銀行が貯蓄預金の取り扱いを開始するのは1878年である。
 また、1900年ごろの同省の運用はほとんど公債であったという。公債の公募が困難であった当時の情勢を考えれば郵貯システムが財政需要を満たす役割を担っていたといえる。
 

3.郵政民営化の必要性

 当時の小泉元総理によれば、以下の4点。
郵貯簡保の350兆円もの資金の流れを官から民に変える
国鉄電電公社の事例のようにサービスの向上が期待できる
③40万人いる郵政職員の民営化移行により公務員数を削減できる
法人税や固定資産税の納税、政府保有株式の売却に伴う財政貢献が期待できる
 高橋氏は郵政民営化を「財政投融資改革に始まった一連の流れの中での必然的な結果」だったとする。具体的には、財投改革に伴い郵貯の預託が消えたことにより、政府機関として国債を対象として自主運用せざるを得ず、いずれ経営に行き詰まる可能性が高かった。ゆえに政府機関としてのタガをはずすための民営化が不可避であった。


4.2000年以前の財政投融資の問題点

 高橋氏によれば以下の2点に要約される。
①財投の運用先である各種政策にかかるコストの明示・検証に欠く「ガバナンス」の問題
②預託金利および財投金利の水準が意図的に市場金利よりも高く設定されている「金利」(資金調達コスト)の問題
同氏は、①については、米国の連邦信用計画の改革やそれに続く一連の政府活動に関する評価の流れを参考にしつつ、厳格なコスト分析や徹底したディスクロージャーの導入を行うことを提言。②については、預託に変えて債券発行による資金調達を課していくことが解。
 ②については徐々にそのとおりとなっているが、①については依然今でも実現のためにクリアーしなければならない課題は多い。


 以上のほか、郵政民営化反対論(郵便ネットワーク維持への疑問など)への反駁や、米国・英国・フランス・ドイツの財投類似制度の紹介、特殊法人改革への言及もあり、コンパクトながら読み応えのある内容になっています。

         (2007年、東洋経済新報社

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