Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

米原 万里 『不実な美女か 貞淑な醜女か』

 あけましておめでとうございます。昨年末はだいぶご無沙汰していましたが、今年は「1日1冊」の目標のもと、もっと頻繁に更新していきたいと思います。

 さてこの本。ロシア語通訳・コメンテータ・小説家など多彩な肩書きで知られる米原万里さんのエッセイ。年末年始で実家に帰ったときに父親が古本屋で見つけてきたものを読了。米原さんの名前は、先日一緒にお仕事をさせていただいた日露通訳の方から聞いており、以前からいちど本を読んでみたいと思っていました。今もご存命であれば、仕事柄お会いするチャンスもあったかもしれませんが・・・

 タイトルの意味は、「美しい訳文か、正確な内容か」。本当は「貞淑な美女」が一番良い、というのは米原さんも認めていますが、体力と知力と精神力が高いレベルで求められる仕事。たとえばパーティの席の挨拶であれば「不実な美女」、細かい数字や条件が鍵を握る商談の席の交渉であれば「貞淑な醜女」、が相対的に求められる、ということを表しているわけです。


1.通訳という職業のむずかしさ

 米原さんいわく「話し手がどんなに博識で洞察力に富、高邁なことを述べても、通訳者の理解力と表現力を超えたレベルで、それが聞き手に伝わる事はありえない」。米原さんの「師匠」徳永晴美氏いわく「他人の通訳をきいて『コイツ、なんて下手なんだ』と思ったら、きっとその通訳者のレベルは君と同じくらいだろう。『ああ、この程度の通訳なら、私にだってできる』という感触を持ったなら、その人は、君より遥かにうまいはずだからね」。
 実は、ときどき自分も日英通訳を聞いていて「これなら俺もできるんじゃないか」とふと大それたことを考えてしまう瞬間がある。が、そのたびに「いやいや、頭の中で理解するのと適切な英文/日文で聞き手に伝えるのとでは天と地ほども違う」と思い直している。ちなみに米原さんは、「消極的知識」と「積極的知識」の違い、と表現されている。詳細が気になる方はぜひこの本を読んでみてください。


2.日本語のあいまいさ

 西洋言語に慣れると、日本語ほど面倒臭い言語は無いと思う。この本の中では、以前ニクソン大統領と佐藤首相が繊維製品による経済摩擦について語ったときのエピソードが紹介されている。佐藤首相の「善処する」をそのまま文字通り英訳したことで、アメリカ側に誤解を与えた。そのときの英訳は、"I will examine the matter in a forward looking manner"、"I will hope with the situation properly"、"I will take care of it"、などであったとされている。日本側に取ってみれば「何もする気は無い」のであるが、アメリカ側に取ってみれば「何か具体的なアクションを起こす」ことを連想させる訳文である。
 これは自分が通訳をしてもらうときの注意点にもなる。概して西洋言語はすっきりとした結論ありき。日本語のように「ぼかす」ことは良しとされない。「結論はYES。ただし条件がある。それは・・・」といった具合にバシバシ話すことが、通訳者、聞き手、ひいては話し手自身にとっても望ましい結果につながる。


3.「窮地脱出法」と、外国語コミュニケーションの勘どころ

 米原さんはこの本の中で、通訳時にきれいな訳語が出てこないときの「窮地脱出法」について「何でもいいからとにかく訳す」こととおっしゃっている。「トンボ」の露訳が思い浮かばず「ヘリコプターによく似た昆虫」と訳してロシア側の爆笑を誘ったエピソードが面白い。またロシア人の小咄の訳が思いつかず、「最後のオチがむずかしくてわかりません。でもどうか大声で笑って下さい。イチ・ニ・サン!」と日本側に通訳して円満に宴会を終了させたとある通訳者のエピソードも紹介されている。
 これらのエピソードは、「話し手が聞き手に何を伝えたいか」「その『場』が何を求めているか」を感じ取る技術が、どんな小手先の技術にも勝るのだ、と教えてくれる。思えば自分も、今でこそジェスチャーや単語の連発で「しのぐ」術を覚えているものの、学生時代は文法をはじめ一言一句にこだわっていた。しかし、がんばって伝えようとすれば、これらのエピソードのように、「なんとかなる」ものである。それどころか、伝えようとする頑張りっぷりが笑いや喝采を誘い、物事がよりうまくまわることすらある。

 
 グローバリゼーションがすすむ現在、どんな職業の方であれ、自分自身で通訳・翻訳をこなす機会、あるいはプロの方に通訳を頼む機会が、以前に比べれば増えているのではないでしょうか。プロの視点からの本音トーク満載のこの本。出版年は古いが内容はまったく古びていません。2009年、出張・旅行などの移動時や休日のおともに、ぜひ。自分が読んだのは単行本ですが、新潮社から文庫版も出ています。

                              (徳間書店、1994年)


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