Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

佐藤 優 『自壊する帝国』

 かつて「外務省のラスプーチン」と呼ばれた、『国家の罠』で知られる作家・佐藤氏のモスクワ時代の回顧録新潮文庫になって先月発行されたので本屋でつい購入。
 自身の専門である神学を武器にモスクワの政治エリート・高官・知識人らの人脈に入り込み、1991年ソ連クーデターのときもゴルバチョフ存命情報をいち早く掴んだ佐藤氏。彼の視点を通じて、「崩壊」に至るまでのソ連邦内の人間ドラマが描写されています。596ページ、読み応えはありますが、流れるような筆致ですいすい読ませます。


1.外交官という職業が要する「情報力」

 外務省キャリアが外交官という職業の役割や理想像について記した本はたくさんありますが、この本は情報分析官としてまさに相手国の中枢に入り込み、日本の国益のため情報を取りに行く、佐藤氏の職業姿勢を垣間見ることができます。ウォッカ宴席は当たり前。相手高官の秘書官やオフィスの受付嬢の誕生日や国債婦人デーには必ずシャンパンや花束を贈っておく。神学という自身の「知」を武器に、当時西側外交官が入り込めなかった共産党・国家の中枢領域に入っていく種々のシーンは、読んでいて痛快、とても参考になります。
  本書のなかでは、モスクワ大学を経てラトビア人民戦線を結成、沿バルト諸国やモスクワにも名を知られるようになる若き政治イデオローグ・ミーシャが特別重要な存在を演じます。彼との出会いによって、佐藤氏はソ連共産党幹部との接触の端緒を得ます。 
 また同氏がモスクワ滞在を始めた当初、心がけていたこと。
「自家用車はなるべく使わないで、地下鉄やバスなどの公共交通機関を利用すること。買い物も外貨ショップではなく、一般の店でもすること。・・・ロシア人がどういう生活をして、何が欠乏し、どういうことで喜び、怒るのかについて、皮膚感覚で捉えることができるようになること」

 
2.ソ連崩壊は「自壊」だった

 佐藤氏が接触した元ロシア共産党第二書記イリインは、ソ連崩壊後このように語ります。 
ゴルバチョフ時代に、グラスノスチ(情報公開)によってロシア人の欲望の体系が変容してしまった。・・・・ひとたび西側から31種類のアイスクリームが入ってくると、子どものみならず大人もみんなそれを欲しがる。車にしてもラジカセにしても欲望が無限に拡大していく。この欲望を抑えることができるのは思想、倫理だけだ。社会主義思想は欲望に打ち勝つ力をずっと昔になくしていた」
 エリツィン政権初期の国務長官ブルブリスも、
「自己崩壊だよ。1991年保守派クーデター未遂は、いわば政治的チェルノブイリ。・・・ゴルバチョフはゴミだ。あいつは共産全体主義国家であるソ連の維持しか考えていなかった。」
 

3.インテリゲンチャとインテレクチャルズ

 佐藤氏によれば、上述の政治イデオローグ・ラトビア人のサーシャは、ロシア的知識人、すなわちインテリゲンチャであることにこだわり、大学や科学アカデミーという制度的な知の体制に組み込まれたり、政治家や官僚になることと知識人であることは両立しない、と考えていたようです。この点、「知識人とは周辺的である」と述べたエドワード・サイードの哲学と通ずる点があると思います。
 また、レーニンの時代ソ連から追放された宗教哲学ベルジャーエフによれば、インテレクチュアルズは知的労作をする人々、学者、著作家、芸術家等を指す一方、インテリゲンチャは、「非寛容な倫理、それに必須の人生観・・・、むしろ修道院の教団や宗派を連想させるもの」と定義されたとのことです。
 
                              (2008年10月発行、新潮文庫

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