エドワード・W・サイード 『知識人とは何か』
サイードならではの文学や文化比較、中東・米国の情勢や過去の思想化・哲学などの多様な事象に触れながら、「知識人」のあるべき姿、進むべき道筋を明らかにした本です。
そして何よりも、サイードならではの「知識人」の定義は、この本の白眉です。
そして何よりも、サイードならではの「知識人」の定義は、この本の白眉です。
・知識人は専門家たるべきか?
⇒専門主義にとらわれれば、人は狭い知の領域に閉じこもりがちになる。また、政府への直接雇用などのかたちで権威や権力が近寄ってくる。知識人は何らかのかたちで権力や権威との関係を持たざるを得ないとしても、権威筋に専門家として寄り添うのか、あるいは報酬を得ることのない「アマチュア的良心」として接するべきなのか。答えは明確である。
⇒専門主義にとらわれれば、人は狭い知の領域に閉じこもりがちになる。また、政府への直接雇用などのかたちで権威や権力が近寄ってくる。知識人は何らかのかたちで権力や権威との関係を持たざるを得ないとしても、権威筋に専門家として寄り添うのか、あるいは報酬を得ることのない「アマチュア的良心」として接するべきなのか。答えは明確である。
・知識人の役割は何か?
⇒最善を尽くして真実を積極的に表象(Represent)すること。権威に隷属せず、「自分の信念を貫き通しながら同時に成長し、精神を変革し、新しいものを発見し、かつて見向きもされなかったもののなかに価値を再発見できるような柔軟性を失わない」こと。そして、「自分の仕事や介入などをふまえて得たものを、制度的なものに硬直化させてしまうことなく、システム化や方法にのっとって動くだけの自動人形にすることなく、表象(Represent)すること」。
⇒最善を尽くして真実を積極的に表象(Represent)すること。権威に隷属せず、「自分の信念を貫き通しながら同時に成長し、精神を変革し、新しいものを発見し、かつて見向きもされなかったもののなかに価値を再発見できるような柔軟性を失わない」こと。そして、「自分の仕事や介入などをふまえて得たものを、制度的なものに硬直化させてしまうことなく、システム化や方法にのっとって動くだけの自動人形にすることなく、表象(Represent)すること」。
政府やメディアから常に一定の距離をおき、中東問題について冷静かつ断固とした発言を続けてきたサイード氏の言葉だからこそ。知識人は周辺的存在であることを恐れるな」という同氏のメッセージは、心に重く響いてきます。