マハトマ・ガンジー 『ガンジー自伝』
以前から気になっていたガンジーの思想の深遠を探るべく、北アルプスからの帰りのバスの中で読了。細かい字で512ページ、かなり重たい本でした。しかしその章の全てに心に残るなんともいえない味わいがあり、あっという間に読み進んでしまいました。
ここに記された自伝は1920年まで。1920年代、30年代、40年代にガンジーが会議派とともに成し遂げた重要な仕事には一切触れられていません。しかし、幼少期~青年期に犯した「過ち」に率直に触れられていたり、ガンジーの名をインド中に知らしめた南アフリカでの非服従運動の経過について詳しく触れられていたり、まさにガンジーの原点が分かる内容になっています。
ここに記された自伝は1920年まで。1920年代、30年代、40年代にガンジーが会議派とともに成し遂げた重要な仕事には一切触れられていません。しかし、幼少期~青年期に犯した「過ち」に率直に触れられていたり、ガンジーの名をインド中に知らしめた南アフリカでの非服従運動の経過について詳しく触れられていたり、まさにガンジーの原点が分かる内容になっています。
・ガンジーの思想の原点はどこか。
⇒幼少時代は「書物と課業」だけが伴侶だった。『ラーマーヤナ』などヒンドゥーの古典が強く心に刻まれた。またアヒンサ(非殺生)の教えが、父や周りの人間から「実物教育」として授けられた。
実際世界での決定的な転機は、南アフリカに在住するインド人=有色人種へのひどい人種差別の扱いを、実際に現地で目にしたこと。
⇒幼少時代は「書物と課業」だけが伴侶だった。『ラーマーヤナ』などヒンドゥーの古典が強く心に刻まれた。またアヒンサ(非殺生)の教えが、父や周りの人間から「実物教育」として授けられた。
実際世界での決定的な転機は、南アフリカに在住するインド人=有色人種へのひどい人種差別の扱いを、実際に現地で目にしたこと。
・ガンジーは人間的に「完璧」だったのか?
⇒少なくともガンジーはそう感じていない。幼少期には盗みや牛肉食などいろいろな過ちを犯した、と率直に語っている。また、13歳で結婚したことも、「道徳的論拠がない」ことと振り返っている。
また青年期はどうしようもなく上がり性で、演説が苦手だったことも告白する。
サティヤーグラハの活動を本格化させた後も、ヒンドゥーのガンジーの実践した禁欲的・利他的な生活は、家族、とくに妻からはときに思わぬ反発を招いている。
⇒少なくともガンジーはそう感じていない。幼少期には盗みや牛肉食などいろいろな過ちを犯した、と率直に語っている。また、13歳で結婚したことも、「道徳的論拠がない」ことと振り返っている。
また青年期はどうしようもなく上がり性で、演説が苦手だったことも告白する。
サティヤーグラハの活動を本格化させた後も、ヒンドゥーのガンジーの実践した禁欲的・利他的な生活は、家族、とくに妻からはときに思わぬ反発を招いている。
・それでも何はガンジーが凄いのか?
⇒己の信念を貫き通す心の力。
ガンジーは自らの人生を「Truth(真実)を対象とした実験」と言い切っています。ガンジーにとっての「神」とは「Truth」であり、他の無数の原則を含む大原則「永遠の原則」。今の自分にとっては抽象論の域を出ませんが、この「神=Truth」に近づきたいという思い・信念に拠って、ガンジーはいかなる苦労にも立ち向かうことができたのでしょう。
⇒己の信念を貫き通す心の力。
ガンジーは自らの人生を「Truth(真実)を対象とした実験」と言い切っています。ガンジーにとっての「神」とは「Truth」であり、他の無数の原則を含む大原則「永遠の原則」。今の自分にとっては抽象論の域を出ませんが、この「神=Truth」に近づきたいという思い・信念に拠って、ガンジーはいかなる苦労にも立ち向かうことができたのでしょう。
その他の心に残ったパートを、以下書き連ねます。
「改革を欲しているのは、改革者である。社会ではないのである」
「人間に食事の時間があるのと同様に、身体訓練の時間を常につくっておかねばらない」
「(自身が執筆した『インディアン・オピニオン』紙の論説のなかに)一つの言葉にしても、思慮なしに、あるいは熟慮を経ないで書き下ろした言葉、意識して誇張した言葉、あるいはただ喜ばすための言葉といったものを思いつくことはできない」
「もし家庭生活の楽しみや、子どもを生んだり、育てたりすることに熱中すれば、わたしという人間が任務に不向きのものになってしまうであろう」
「共働者とわたしは、たくさんの空中楼閣を描いていた」(チャンパランの農民生活向上運動の失敗を率直に振り返って)
「わたしは民衆に対して、彼らがそれを始める資格を持たないうちに、市民的非服従を開始するように呼びかけてしまった」(民衆を暴動に至らせた自身の啓蒙活動の思慮のなさを振り返って)
「私自身を無に帰せしめなければならない。人は、自由意志から、自分を同胞の最後の列に置くようにならない限り、救いはない。非殺生は、謙譲の極限である」
(蝋山芳郎訳、中公文庫、1983年発行)