Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

中原 伸之 『日銀はだれのものか』

 1998年から4年間日銀政策委員会審議委員を務め、他の委員の反対にあいながらもゼロ金利政策量的緩和政策を一貫して主張し続け(そして実際そのとおりに日銀の金融政策は推移していった)後に金融庁顧問として金融再生プログラム作成に携わった中原さんによる日銀審議委員時代の回顧録。テクニカルな本というよりは、当時の政策委員会での生々しいやり取りがつづられるなど、当時の金融政策決定当事者の胸中に迫るヒューマンストーリーとして読めます。

 ちなみに先月31日に、1998年当時の政策委員会の議事録が公開され、話題になりました↓
http://www.boj.or.jp/theme/seisaku/mpm_unei/gijiroku/index.htm
 現在の決まりでは同委員会の議事録は10年後に公開されることになっていますが、透明性を高めるために、個人的には保存期間を5年程度に短縮しても良いのではないかと思います。

 さて、この本を読んで幾つかの疑問を解消↓


・日銀はだれのものか?
⇒中原さんの答えは明快、「日銀は国民のもの」。政府が51%出資しているほか、物価と経済の安定を使命とする中央銀行はあくまで国民に裨益するものであることは自明。ただし一方で中原さんは、4年間の審議委員経験を踏まえて、「日銀マンは日銀を自分たちのものと思っている」といいます。
 日銀が新日銀法によって政府からの独立権を強化されたのは1998年。多くの識者がこぞって言うのは、日銀は強化された独立権を行使したがる癖がある、すなわちこの当時においては、なによりもまず「金融政策の正常化(ゼロ金利政策からの脱却)」に固執しすぎた、ということ。中原さんはこの日銀マンの「独立性への固執」を、戦前・戦中の旧軍部のそれと類似している、とまで言っています。

 また常に議論になる日銀法第四条「政府の経済政策との整合性」↓については、
http://www.boj.or.jp/type/law/bojlaws/bojlaw1.htm
「日銀はGoal Independent(目標の独立性)ではなく Means Independent(手段の独立性)であるべきだ」と言い、現行の体制を「子供が自分の宿題を自分で選んで、出来ましたと先生に出すのと似ている」と喝破します。


・2000年のゼロ金利解除は正しかったのか?
⇒日銀は2000年8月、速水総裁主導もと、景気は回復局面にあるとしてゼロ金利政策解除を決定しました。しかし当時、中原さんとブレーンの方々は、ゼロ金利据え置きとともに円安論(輸出産業主導での景気回復を目指す)を考えていたことが分かります。実際、2000年末には世界同時不況が発生、2001年3月には政府からの強い要求もあり日銀は一転して量的金融緩和政策を導入、再び短期金利を実質的にゼロとせざるを得なくなりました。


・量的金融緩和とはなんだったのか。
⇒中原さんは、「ゼロ金利+数量効果+コミットメント効果の強化」、「ゼロ金利政策が進化したもの」、と定義します。1990年代末まで、日銀内にも量的金融緩和政策を支持する人は殆どおらず、実際に2001年3月に導入された際にも、新聞各紙は「金融政策は未曾有の領域に入った」と書きたてました。量的緩和政策は2006年に解除されるまで続きますが、現在では、「量的緩和政策は、不良債権処理や金融システムの底割れ防止に一定の役割を果たした」と評価する声が高いことは事実です。


                                  (2006年発行、中央公論新社

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