Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

パコ・イグナシオ・タイボⅡ ほか 『ゲバラ コンゴ戦記 1965』

 あまりにも有名なキューバ革命の英雄、チェ・ゲバラ。彼が死の2年前、たった1年弱アフリカの奥地で戦線に参加していたことをご存知でしょうか。
 自分もうっすらと知ってはいたのですが、会社の先輩に最近教えられるまで、彼が滞在したアフリカの奥地がコンゴ民主共和国(旧ザイール)東部だったことは、知りませんでした。

 この本はその先輩から借りたのですが、最近まで明らかにされなかったチェ・ゲバラ「空白の1年間」、1965年の彼の動向を記したモンタージュ形式のノンフィクション。
 作者はメキシコ人のジャーナリスト3名、主な情報源は、90年代になってキューバ政府からリリースされたゲバラ本人のコンゴ時代の日記と、当時ゲバラに同行したキューバ軍兵士など関係者へのインタビュー結果に基づくもの。
 
1.カストロへの「別れの手紙」を書き記した後、彼はなぜコンゴを目指したのか。
2.ゲバラと数十名のキューバ兵を受け入れた当時のコンゴ東部の情勢はどのようなものだったのか。
3.1965年、そのコンゴで彼は何を見、何と立ち向かい、何によって「撤退」を余儀なくされたのか。
 
 こうしたマニアックな疑問を解消してくれる本です。
 
 まず、「キューバでの役目を果たし終えた」と考え、思想的にはソ連とも距離を置き始め、新たな民族解放闘争の場を探し始めていたゲバラ。そして、これにコンゴ側の状況 -西欧諸国の支援を受けていた首都キンシャサを中心とするモブツらの中央政府と、社会主義を掲げて東部諸州の実権を握っていたいくつかの反政府勢力との対立、そして反政府勢力はキューバ政府に軍事支援を求めた- が加わった。そしてカストロの政治決断によって、ゲバラを指揮官とする数十名のキューバ兵がタンザニア経由タンガニーカ湖を横断してコンゴに潜入、西欧諸国の支援を受けている勢力の殲滅を目指した。

 ただし結論から言うと、ゲバラの作戦は失敗します。
 まず、ゲバラは仏語を操ったが、現地の戦闘員や農民はスワヒリ語で生活しており、意思疎通がうまく行かなかったこと。また同行したキューバ兵は黒人だったが、ゲバラ自身はもちろん白人だったことも、現地の人々から見たゲバラを遠い存在にしました。キューバ革命で人々の心をわしづかみにしたゲバラの思想と行動は、コンゴ東部ではそのまま機能せず、「民衆の海」を築くには至りませんでした。
 また当時のローランン・カビラをはじめとするコンゴ反政府勢力のリーダーの指導力不足、はびこる部族縁故主義、戦闘員の規律のなさ、呪術による戦意高揚を第一とし戦闘技術がおざなりになっているさま、要するに現地には「兵士と呼べる兵士がいなかったこと」も、撤退のいち要因でした。 
 そして、コンゴ東部の厳しい気候、熱病やマラリア、飢えといった物理的要素もキューバ兵を苦しめ続け、最後には、ベルギー兵に追いまくられる格好で、タンガニーカ湖を戻ってタンザニアに撤退。

 ジョン・レノンをして「20世紀で一番格好いい男」と言わしめた稀代の革命家、チェ・ゲバラ
 ゲバラ好き、アフリカ好き、コンゴ好きには必読の一冊です。

 ちなみに、ゲバラの若き日とその人物の原点については、映画『モーター・サイクル・ダイアリーズ』、1960年代当時のコンゴの政治情勢・人々の熱狂と混乱を画像で知るには、映画『ルムンバの叫び』をそれぞれおすすめします!

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(日本語訳: 神崎牧子/太田昌国 訳、1997年発行、現代企画室
 原著: 1994年、Editorial Joaquin Mortiz, Mexico)

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