Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

大村 はま 『新編 教えるということ』

 
 新潮社の雑誌「フォーサイト」の書評コーナーで推薦されていてアマゾンで思わず買ってしまったシリーズその1。
 
 教師って、世界で一番難しい職業だと思う。これから社会に巣立つ子どもや学生を、同じいちどの時間に30人から40人、まとめて相手に育て上げる。本当に難しいと思う。という先入観。でもこの本を読んで、ひとつの答えを得た気がする。

 大村先生は、1928年の大学卒業以降、長野や東京で一貫して国語教師として50年以上勤め上げ、教育についての著作を数多く出版しておられる方。もう亡くなられており、自分はリアルタイムでお目にかかる機会はなかったが、最近ぐうぜんにもいろいろなところで先生の名前を目にする機会があった。それは、先生の残した著作が、今の時代においても色あせることのないメッセージに満ち溢れているからだと思う。
 この本は、おもに80年代、若手教師に対して大村先生が行った講演記録のなかから4編を選んでコンパクトにまとめた文庫本。小一時間で読める内容に比して、得られるエッセンスは大きい。

 一斉詰め込み型のマスプロ国語教育への批判、ひとつひとつの授業ごとに徹底して練り上げられたオリジナルの教材の技術。教える立場と教わる立場、生徒間の優劣、それらを超越して各生徒それぞれに達成感を与え、ひいては社会において生き抜くことができるレベルの国語力を身に付けさせる。
 聖職であるがゆえに陥りがちな自己満足を徹底して自戒し、「卒業後は自分のことは覚えておいてもらわなくて良い」「生徒にとって心地よい先生である必要はない」と、とにかく教師としての職業意識を貫く姿勢が、講演の随所に見て取れる。

 印象的なパートは、戦後焼け野原の東京で、あまりに粗雑な数百名の生徒を前に、青空教室の教師を命じられたときのエピソード。困りにこまったあげく、大村先生は新聞や雑誌から百ほどの教材を用意してそれぞれに問題を付け、騒ぐ生徒達に教材を与え、「こういうふうにやってごらん」とひとりずつ教えていった。そうすると、数百人の子供達はいっせいに押し黙り、一心不乱に校庭のあちこちで紙に向かって問題を解き始めた。大村さんはそのとき、あまりの感動に別室でひっそりと涙をこぼしたという。「子ども達はこんなにも学びたがっていたのだ」「子ども達はこのような機会を求めていたのだ」、と。

 昨今、日本の教育に関するペシミスティックな議論がさかんになされているが、(もし読んでいない方がいれば)教職にある方々とって必読の書だと思うし、そして講師以外の人、とくに誰かにものを教える立場の人 -組織のマネジメントや家庭での親たち- に、ぜひ読んで欲しい一冊。ちなみに自分は、自分が父親になったときのことを思わず想定して読んでしまいました。
 そう、子どもを教える立場にある者にとって第一に持つべきは、ときには心を鬼にして、子供達の10年先、20年先を見据えて相対し、自身も勉強を重ねて常に自省を怠らない、という「プロ意識」。彼らが将来社会で生き抜くための素地・地力をあたえるために。あくまで、黒子に徹しながら。

                           (ちくま学芸文庫、1996年発行)