Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

立花 隆 『解読「地獄の黙示録」』

 学生時代に「地獄の黙示録」の完全版(2002年に封切られたもの)を観て、他の分かりやすいアメリカ映画に比べて、「なんて分かりづらくて冗長な映画だろう」と思ったことを覚えている。一方で、再度観返したくなる映画はあまりないが、その分かりづらさ故か、テーマの重さ故か、頭の中を整理したうえでもう一度観たいと思わせる映画でもあった。
 本書は、同映画に対する立花氏の批評であり、鑑賞の際の手引きのような本である。日本語字幕の訂正から主題への切り込み、メイキング中の秘話に至るまで、立花氏の博覧強記ぶりが随所に読み取れる。聖杯伝説、『金枝篇』、『荒地』、『闇の奥』、ジム・モリスンの「ジ・エンド」。普段西欧文化にあまり触れることのない日本人がこの映画を理解するためには、立花氏の手助けが必要不可欠のように思える。名作と呼ばれる映画を理解するためには、ときにこれほどの予備知識が必要となることを教えてもらった。
 カーツ大佐というキャラクターは、ベトナム戦争におけるアメリカの危ういモラルと偽善に対する痛烈な比喩の産物である:「カーツは、コッポラの言葉を借りれば、『ベトナムにおけるアメリカそのものの象徴』たりえるのだ。」「コッポラはくり返し、この映画のテーマは、モラルの問題であり、かつ偽善の問題であると語っている。将軍たちから偽善の衣をはぎとってしまえば、・・・将軍たちもカーツも同じだということなのである。」
 本書中の『闇の奥』のカーツ(クルツ)と「地獄の黙示録」のカーツとの比較も興味深い。「(『闇の奥』のカーツは)人間として根本的に欠けたところがあり、心の奥底は空虚でありながら、決してそれを自覚しない人物として描かれている。しかし、コッポラのカーツは、自分の空虚さを知る人間である。だからこそ、彼はひそかに自分の死を願望しているのだ」、と立花氏は分析する。
 では、彼の「空虚さ」とは何か。カーツは「必要なのはモラルを持ち、かつ同時に原始的殺人本能を、感情も、情熱も、判断力の行使もなしに発揮さすことができる兵士」と語るが、自身はついにその両立に耐え切れず、「ニヒリズムと自己神格化と原子的本能に依拠した偽善」で自らを装わざるを得なかった。主人公ウィラードは、カーツとの邂逅の後、泥沼から這い上がるかの有名なシーンを経て、「原始的本能の赴くままにではなく、道徳的判断力の行使によって」、カーツの暗殺を実行に移す。冗長に思えた終幕までの一連のシーンも、ウィラードの決意に至るまでの変遷が丁寧に追われていたと考えれば、今更ながら腑に落ちる。

(2004年、文春文庫)

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