HNKスペシャル「ワーキングプア」取材班 『ワーキングプア 日本を蝕む病』
ワーキングプア。この言葉がメディアで頻繁に取り上げられるようになったのはいつ頃からでしょうか。2006年に二度にわたってこの問題を取り上げ、高い評価を得たNHKスペシャル取材班によって、2007年に書き下ろされた本。思わず書店で手に取ってしまいました。
グローバル化に伴う産業構造の激変、非正規雇用者の増大、地方と都市の格差・・・・さまざまな背景があって生じているこの現象。「働かない」のではなく「働けない」、働ければ働くほど貧乏になる。その果てに仕事に対する誇り、人生に対する誇りまでが失われていく。
そんな過酷な現実を、「決して怠けているわけではなく、働く意欲を持ちながらも、生活に事欠いている」人々に対する丁寧な取材で、リアルに描いてきます。
そんな過酷な現実を、「決して怠けているわけではなく、働く意欲を持ちながらも、生活に事欠いている」人々に対する丁寧な取材で、リアルに描いてきます。
コールセンターで働く35歳の女性の言葉。夢は何ですか、と聞かれて:
「私のスペアなんて、いくらでもいるのですよね」
「私のスペアなんて、いくらでもいるのですよね」
取材班・藤木プロデューサーの言葉:
「格差社会やワーキングプアの議論のなかで、「セーフティネットの充実」ということだけが、強調されすぎるきらいはないだろうか。それさえ充実すれば、あたかもすべての問題が解決するかのように・・・。セーフティネットが必要以上に強調されない社会、つまり、人間が人間らしく暮らせる、誇りを持って働ける社会、労働に対する正当な報酬を得ることができる社会、それこそが求められているのではないだろうか。」
「格差社会やワーキングプアの議論のなかで、「セーフティネットの充実」ということだけが、強調されすぎるきらいはないだろうか。それさえ充実すれば、あたかもすべての問題が解決するかのように・・・。セーフティネットが必要以上に強調されない社会、つまり、人間が人間らしく暮らせる、誇りを持って働ける社会、労働に対する正当な報酬を得ることができる社会、それこそが求められているのではないだろうか。」
両親の支援のもと教育を受け、基本は終身雇用の正社員として働いている自分にとっては、素直に、ショッキングな「リアル」でした。
また「一歩間違えれば」、たとえば数年前の就職活動のときに今の会社に拾ってもらっていなければ・・・自分も今頃「働きたくても働けない」人々の側にいたかもしれないということに、背筋が寒くなるのを覚えました。
また「一歩間違えれば」、たとえば数年前の就職活動のときに今の会社に拾ってもらっていなければ・・・自分も今頃「働きたくても働けない」人々の側にいたかもしれないということに、背筋が寒くなるのを覚えました。
日本(世界)の社会が見出すべき答えの一つの方向性は、労働者としての自己を取り戻すことにあるように気がします。財やサービスの「消費者」の要求が強すぎるあまり、大資本や国家権力のもと労働力の軽視がすすみ、「生産者」としての生きがい・誇りを保てなくなっている社会。曲解に過ぎるかもしれませんが、解決の糸口は、
・ひとりひとりの個人が、「消費者や投資家」としての欲求を抑え、そもそも人生のなかで「生きがい」の部分であるはずの「労働者・生産者」としての存在感を増して行くこと
ではないでしょうか。そのための具体策を、いま考えているところです。
(2007年6月、ポプラ社)